2008年7月23日水曜日

和歌山に出張しました 写真は和歌山城


資料によると和歌山城は、天正13年(1585)に紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まり。その築城を担当したのが、築城の名人藤堂高虎(とうどうたかとら)で、本丸・一の丸を造りました。まず、秀長の城代として桑山重晴(くわやましげはる)が入り、慶長5年(1600)には、関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長(あさのよしなが)が入城。そして、元和5年(1619)には徳川家康の第10子・頼宣(よりのぶ)が入城し、紀州55万5千石の城となり、以来、水戸・尾張と並び、徳川御三家のひとつ
秀長は堺屋太一しの小説でも名NO2として描かれており、そいいった意味でも感慨深く城を眺めておりました。(私が泊まったホテルからこの写真を撮ったのですが、城が非常に良く見渡せました。)

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