2011年5月29日日曜日

今日は雨なので、スーツを手入れしたり、靴を磨いたりしました。(5月29日)

梅雨入りしました。台風もきてます。鬱陶しいですね。
こんな日は私は洋服と鞄、靴の手入れをします。
洋服は地味な私の一番の趣味。(食べ歩きと洋服)
今のお気に入りのスーツはErmenegildo Zegnaです。 今や私のスーツの半分以上が当ブランドです。

当社のスーツは、生地の良さが最も保証されており、はずれがありません。
また、当社は流行を追い過ぎることがなく、GUCCIのような流行を追い過ぎているせいで、飽きがくることがありません。私は細身のスーツを好みますが、GUCCIのように形が流行を追い過ぎると、寿命が短くなってしまいます。
Zegnaやフェラガモはこうした流行の追い過ぎがなく、ほどよく細身、流行を採り入れています。
だから、私は当社のスーツを好んでいます。
加えて、生地が軽く、しわがよりません。トラベラーというシリーズは出張には最適です。くしゃくしゃにしても、しわがよりません。
一日働いて、スーツをつるすと、Zegnaのスーツはしわがよっていないことに驚きます。

下記は参考までにZegnaの歴史です。

当社はもともと、北イタリアで1910年テキスタイルメーカーとして創業しました。初代エルメネジルド・ゼニアの父、アンジェロ・ゼニアは1859年に、農家に生まれ(1923年没)、時計職人となり、やがて毛織物を手がけ、フレッチナ地区で織物製造会社を設立した。45歳のとき、火事で工場を焼失。トリヴェロに移って工場を再建、技術的な研究に取り組んだそうです。
この父親から20歳で家業を受け継ぎ、近代的な企業に育て上げたのが、グループの創業者エルメネジルド・ゼニア(1892-1966)です。職業繊維学校に学んだエルメネジルドは、1930年、最新の英国製紡績機による高品質毛織物の生産を始め、自分のトレードマークで国内および国際マーケットに進出。顧客のみならず第一線のファッションデザイナーに供給できる流通機構を作り上げた。
1968年、エルメネジルドの二人の息子、アルド(現会長)とアンジェロ(現社長)が事業を継承。紳士服地で確固たる地位を築いたあと、ゼニアは服地だけでなくメンズプレタの分野にも進出。「最高の素材は優れたデザインを、最高のデザインは優れた素材を求める」というデザインポリシーのもとに、スーツ、ジャケットからスポーツウエアまでの各種製品は国際的評価を得て、トータルメンズブラントとしてのゼニアの名を不動のものにした。業界で初めて、服地の耳にブランドネームを織り込んで品質を保証したことでも知られる。素材の開発から縫製まで一貫して自社のファクトリーで手がけ、原毛の買い付けから、紡績、染色加工、製品化までトリヴェロの工場では一貫した自社生産が行われています。

その他、私が気に入っている決めのスーツはHermesのスーツです。
ここのスーツは洋服好きで自由に支出できる御金の大半を洋服に使っている私も流石に頻繁には購入できません。7着もっているHERMESのスーツはすべて”決定”をしたい大事な日にしか着ませね。それだけ大事にきています。
ただ高価なこともあり、日頃のスーツであればZegnaで充分だと思います。

最後に昨年はDUNHILLのスーツも何着か購入しました。
ジュードロウが広告塔となってから、数着購入しましたが、その後はZegnaに戻りました。

これがDUNHILLのスーツ

dunhillのロゴ

これはHermes 決定したいプレゼンなどに着用するもの

このマークを付けているときは、商売を決めると決めた日

日頃最も一般的に着用するErmenegildo Zegna


僕にとっては最も品質が安定しており、リーズナブル、安心のブランド。最近はここ以外のスーツはあまり購入する気になりません


 最近はもう冒険もしなくなり、スーツはZegna、私服はDiesel、靴はHERMESかフェラガモ、シャツはSt.DuponかDUNHILLパターンが決まってきました。

2011年5月28日土曜日

今日のうちの御庭 雨ですがつつじは満開
















今日は麻布台キャンティでイタリアン(5月28日) 歴史あるキャンティを久しぶりに訪れた

麻布台のキャンティに久しぶりにきました。


洋菓子のほう 外苑通りから

いつ来てもこの店は変わりません



歴史があるCANTI 。
1960年に開店し、三島由紀夫、黛敏郎、黒澤明、加賀まりこ、安井かずみ、萩原健一などの文化人、芸能人が集まったレストラン「キャンティ」。オーナー川添浩史・梶子夫妻の生涯はキャンティ物語として本にもなった。

これが今日のメニュー 。私達はVERDEを食した。ご予算は一人 6300円

変わらない。。その一言が常連からでるキャンティ。多くの著名人が通い、ここでイタリアンを食した。

御花で綺麗に飾られてました

今日のランチ。VERDEの前菜。カルパッチョイチジクと生ハム、パスタなど

これが名物のバジリコパスタ

仔牛のカツレツ。ここのカツレツは有名。バジリコパスタも

サラダ


デザート。ここはケーキも美味しい


暫くイタリアに行っていないですが、またいきたいな。。

また暫くきたら、くるでしょう


キャンティ飯倉本店
イタリアン
電話番号 03 3583 7546
住所 東京都港区麻布台3-1-7


キャンティ物語

華族出身の川添浩史は、若い頃から文化・芸術に強い興味があり、第二次世界大戦直前のパリに長期滞在していた。学校に通っていたわけでもなく、大半は遊んでいたが、その間に当時まだ売り出し中のヨーロッパの芸術家や日本人留学生と知り合い、その後の仕事に生きてくることになる。とくに親しかったのが、当時まだ無名だったカメラマンのロバート・キャパだ。
戦後になってからは、日本の文化を海外に紹介する、プロモーターや広告代理店的な仕事をした。彼の適性も、ヨーロッパ生活などを通して手にした経験と人脈もそういう仕事にはぴったりだったようだが、仕事は採算度外視のものも多く、最終的には川添家の財産を食いつぶしてしまった。
そのかたわらでイタリア帰りの妻・梶子と経営していたのがイタリアンレストラン「キャンティ」だ。当時、ごく一部の人しか実際に見ることができなかった、ヨーロッパ文化を知る人が集まる店として流行の発信地になった。客は川添夫妻の友人が多く、自由に席を立って交流したりサロン的な雰囲気があった。
海外と接点のある日本人が希少な時代に、川添浩史・梶子夫妻には海外の文化人との人脈があり、ヨーロッパ文化の教養があり、周りの人々に慕われる人間性もあった。上流家庭に生まれて、したいことを思いきりやって国際的な人脈を広げ、それをビジネス(といってもトータルでは儲からない)に生かすという、生まれとお金がないとちょっと真似できない世界を覗ける本。敗戦後から60年代くらいまで、日本が欧米文化を競って取り入れた時代の雰囲気もわかる。
巻末の解説を書いているのは、本書の版元である幻冬舎社長の見城徹。「僕にとってもキャンティは真夜中の学校だった。」と述べている。 そんな歴史があるキャンティ。多くの文化人を惹き付け続けます。

5月27日 大阪出張(日帰り)

モノレールに5時30分に乗車

飛行機が離陸に向かいます

空からみた東京

雲がきれいでした。空の青さとのコントラストが綺麗

大阪伊丹につきます


今度は東京に戻ってきました

朝6時30分の飛行機ででて、今12時40分に戻ってきました

2011年5月25日水曜日

5月25日 姫路に出張

今日の浜名湖


姫路に到着しました。姫路城で有名な町

駅には松原屋台が展示



灘まつりは伝統がある祭り


姫路駅。今日はさわやかな快晴


日航ホテルからの眺め