2026年4月29日水曜日

映画)NOBU 松久信幸の人生について

松久さんの映画をみました。

新宿の松栄鮨で修業、その後、ペルーのリマに行く、松栄鮨ペルーを開業。現地の資産家であるドン・ルーチョがオーナーである。現地での料理と和食をブレンドする。セビーチョという料理はレモンと魚をマリネしている。こういった発想が和食に生きてブレンドされる。ドンから魚の質をさげろといわれ、結局店をやめてしまう。
彼の発想では品質をさげることはありえない。そして埼玉の与野に戻る。そしてアラスカにいく。Kioiというお店を1971年にオープンする。しかしながら、お店は火事になってしまう。ローンも保険もない。いまでも当時焼け残った包丁を残しているのだ。返済が終わり、ロスへ、そして日本食屋で働く。LAではSpagoなどがはやりの店舗。そこで87年にラシエネガブルバードで、松久をオープンするのだ。

生魚が食べられない顧客に対してゆでたオリーブオイルをかけて、ふるまうなど顧客に対する配慮と工夫で、着実に人気を得ていく。

そしてLAでの成功から、トライベッカグリルを展開していたロバートデニーロの協力もありNYにNOBUをオープンする。

 MATSUHISAは、93年には世界トップ10レストランに選定される。

松久信幸というシェフの名前は世界に知れ渡る。NOBUによりトライベッカの地位上がるのだ。そしてNOBUは世界中にオープンする。アルマーニ氏と連携し、イタリア ミラノでも開業するのだ。

メルボルン シカゴ、マリブ、東京など今や世界中にある。

松久氏は正月は必ず箱根の別邸で過ごす。通常はLAの家で過ごすが1年中出張が続く。常に店を回り品質を保つのだ。

LAのMatsuhisaの常連顧客には、シンディクロフォードがいる。シンディライスいう彼女のためのメニューつくった。かき揚げのったどんぶりである。

ペルー時代、アナゴが市場捨てられていた。それを大量購入した。理由として犬に食べさせるいって二束三文でかった。それを寿司ネタにした。それがあなごの寿司

起源。

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