リクルートを作った男、リクルート事件で東京地検に弾劾され、徹底的に罪を追求され、経済人としての命を絶たれた江副さん、尊敬すべきイノベ―ティブな起業家であった。彼はインターネットの時代、情報産業の時代を見越し、まだ小さい資本金のリクルート、日本リクルートセンターは多額のホストコンピュータへの投資行う。インターネットの時代を見越していたのだ。インターネットの証券取引を行うファイテルを買収した江副、そのとき、プリンストン大学を首席で卒業しファイテルにいたのがベゾス、二人とも未来のインターネットの情報産業の時代をみていた。
江副氏はその後リクルートを成長させた。リクルートの求人のみならず、後のコスモスとなる不動産事業にもでた。銀座8丁目にある日本軽金属のビルも買い取った。不動産でも大きな成功をおさめた。住宅に関する情報誌も彼等がはじめたもの。のち、読売新聞が読売広告で住宅広告に乗り出す。それでもランチェスターの法則を信じた。エリアを集中的にせめ、40%以上のシェアをとれば圧倒的優位になる。
リクルートは自らがこの事業を興したという自負があった。住宅情報という市場はリクルートが作ったものだ。読売新聞は母体は大きいが、メインの事業ではない。その事業にかける思いが違う。
通信に進出したときの話も感慨深い。千本氏と稲盛氏の出会い、第二電電構想、そこに入っていた江副氏、しかしながら、江副氏の強い事業意欲に危機感を感じたため、稲盛氏が株主に入ることにネガティブとなる。結果、江副氏は真藤氏がいるNTTの回線RESELLで成長する。その後、様々な苦労おしながらも事業を成長させるのである。
#起業の天才
#江副浩正
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